どうも、婚活カウンセラーのクマです!
私は結婚した今でこそまともな感性を持ち始めましたが、これまでの人生ではかなり歪んだ感性を振りかざして生きてきました。
他人に厳しく、自分に甘く、人に嫌われやすい人生だったと思います。
他人から傷つけられることをとても嫌い、自分を傷つけてくる人にはかなり攻撃的になったものです。
当時の私にとっては、自分を守るための手段が『より強く他人を攻撃すること』しかなかったのだと思います。
たとえそれが私のことを想ってくれた言動でも、私にとっては攻撃に感じてしまいました。
人間を信用していない、野良猫みたいな気性だったことでしょう。
今では人と関わることが特に好きで、人への興味がとどまることを知らない状態です。
どのようにして人好きに変わったのか。
果たして本当に人好きに変われているのか。
今回は、32年間の私の人生を振り返って、みなさんにクマという人間を紹介していきます。
幼稚園時代
私は幼少期のころから、あまり人が好きではなかったのだと思います。
幼稚園の頃の記憶なんてほとんどありませんが、自分の人格を形成した強い記憶があります。
毎日憂鬱な思いを抱えながら登園
同世代の子どもたちと初めての集団生活。
4歳で早くも、人間関係に強いストレスを感じておりました。
ある日教室のドアを開けて中に入ると、クラスの人気者(男子児童)が縦横無尽にゴロゴロと側転をしていました。
そして周りの女子児童たちは、当人気者へ向けて黄色い声援をあげている。
その光景を見た時に感じたんです。
「ここは自分の居場所じゃない」
これが決定打となり、幼稚園がとてもイヤな場所という認識となりました。
今でも強く記憶に残っている光景です。
卒園アルバムを黒く塗りつぶす
だいぶ大人になった頃、母から知らされました。
「卒園アルバムが真っ黒に塗りつぶされていたんよ」
え?どういうこと?
聞いた話によると、当時の私が卒園アルバムの自分の顔以外を真っ黒に塗りつぶしていたそう。
真っ黒のアルバムを見て怖くなった母親が、すでにアルバムは捨てているとのこと。
「ヤバ…」
幼稚園時代の自分の奇行を耳にし、笑って話しながらも少し引いてしまいました…。
幼い頃から闇が深すぎでしょ…
小学生~中学生時代
小学生にあがる頃には、集団生活にもある程度なれてきた様子。
憂鬱な気分で毎日いることは、ほとんどなくなってきました。
変わり者なのは相変わらず
自分で言うのもなんですが、私は小学生のころも変わった感性を持っていました。
周りに合わせるというのが、とても苦手な子供だったんですよ。
- 入学式はみんなキレイな格好をする中、学年でたった一人トレーナー姿で参列
- ランドセルは小学1年生で卒業し、普通のリュックサックで登校
- ちゃんと校歌を歌ったことがない、いつもほぼ無言
こうやって文字に起こしてみると、当時の私の異常性を感じます。
『自分がしたくないことはしない』とハッキリしていたのでしょう。
まぁ、こんなやつが集団生活をうまくやっていけるはずがなく、友達は結構少なかったと思います。
かわいい青春時代
中学生になると、一気に大人っぽくなりますよね。
私も無事に多感な時期に突入し、恋をしたり、友達とケンカをしたりと青春を過ごし始めました。
この頃の私はとてもウブで、女の子と一緒に帰るときも緊張して一言も喋ることができませんでした。
なので、異性と話す時に緊張してしまう人の気持ちがすごくよくわかります。
頭が真っ白になるんですよね。
好きだけど、好きだからこそ、話が出てこないんです。
私が『モテたい』と強く意識し始めたのが、中学生時代だと思います。
それから様々な失敗を繰り返して、モテるノウハウを学んできました。
幼稚園から一転!爽やかな青春を過ごしました!
高校時代
中学生の私は、ハッキリ言って結構モテました。
恥ずかしげもなく、「モテてるなぁ」と感じておりました。
そんな私は高校時代、どん底に落ちていきます。
奇行を繰り返す日々
中学までは地元の学校に通っていたんですが、高校からはちょっと都会の方に通うようになりました。
地元の高校ではなく、わざわざ時間もお金もかかる高校に通わせてもらったんです。
正直、高校に入ってからも結構モテました。
一瞬仲良くなった女の子は、結構多かったと思います。
そんな晴れやかな高校時代を迎えた私ですが、少しずつ変わり者の本性が見え始めました。
私を見る目も、だんだん変わってきたことを実感しておりました。
- 高校最初の体力測定。50m走の途中で「もういいや」と走るのをやめる。この行動をきっかけに教師や同級生から引かれる。
- 教師に対する反発。言うことを聞かない。なにをやるにも無気力。勉強も部活もなにも力をいれない。けど不良じゃない。(これがダサい)
- 同時にたくさんの女の子にアプローチしていたら、学校中の女子から総スカン。
- 修学旅行の楽しい場でみんながいる中、教師を大声でののしる。
- 体育祭、文化祭などのみんなで参加するやつに全く協力しない。
どれも今となっては「何してんだ」と思いますが、当時の私にとっては自分を守るための行動だったんですよね。
それが怖い。
自分の正義を貫いた結果、学校の変わり者になっていきました。
他人の世界に存在しない人になってしまう
高校1年生の途中からは友達なんておらず、学校に行っても喋る言葉はひと言ふた事。
勉強もせず、部活もせず、完全に『無』でした。
楽しくない高校に毎日通って、一体なにをしていたのでしょうか。
いじめすらもされないんです。
触れるの危険、みたいな感じだったのだと思います。
みんなの世界に『クマ』という存在はいなかったんです。
誰からも必要とされていない。
誰からも好かれない。
誰からも嫌われない。
他人の人生に存在していなかったんです。
多分高校時代の同級生は、誰も私のことなんて覚えていないでしょう。
だからこそ、今では強く思います。
人の人生に存在する人になりたい
良くも悪くも、人の人生に存在していたいんです。
覚えてもらえる人でいたいと思います。
「クマに連絡してみよ」
こう思ってもらえる人でいたいんです。
高校時代は完全に黒歴史
大学時代
大学デビューと言われてもしょうがないくらい、心置きなく大学生活を楽しみました。
高校時代にできなかった青春を、すべて詰め込んだような生活でした。
毎日ハッピー THE大学生
大学から一人暮らしを始め、高校時代と生活が一変しました。
初めての家事に悪戦苦闘しながら、楽しい生活が始まりました。
そして大学1年生の春に、親友ができました。
私の大学生活は、彼と過ごした4年間と言ってもいい。
そのぐらい生活を共にしておりました。
彼がいてくれたから、今の私がいると思っています。
友達と遊びまくり、恋もして、勉強もそれなりに…。
毎日楽しく、笑顔で過ごすことができました。
妻に出会ったのは大学時代のバイト先
大学時代は、ピザ屋のアルバイトに精を出しておりました。
そこで出会ったのが、今の妻です。
私からの猛烈なアタックの末、無事に付き合ってもらえることになりました。
好きな人には、自分からガンガン行かなきゃダメ。
それが大学2年生の冬。
かれこれ、12年の月日が流れました。
平穏無事に12年が過ごせたかというと、そうでもありませんでした。
これまでに何度、妻を傷つけてきたことか…。
上記で書いたように、私は物事の捉え方がとてもひねくれていました。
たびたび妻を泣かせて、怒らせて、傷つけて…。
それでも一緒にいてくれた妻がすごい。
妻には、感謝の気持ちを伝えても伝えきれませんね。
妻との出会いが私を変えました!
会社員になってから
大学を卒業して就職したのは、男ばかりの建設業の会社。
しかも中小企業であるためか、一番歳の近い上司が39歳。
悩みがあろうと、相談なんてできませんでした。
社会に揉まれ、私も少しずつ成長していきました。
おじさん相手に好かれるスキルが身に着いたのは、この会社での経験が大きかったと思います。
まさかの長崎配属
福岡に本社がある会社に就職した私は、当然福岡で働けるものと思っていました。
それがまさかの長崎配属。
同じ九州とはいえ、長崎ってどこやねんっていう状態。
加えて妻は、名古屋へ配属。
そして妻が地元の佐世保に帰ってきたあとは、カナダへワーホリ。
遠距離恋愛が長く続きました。
かれこれ、7年間くらいは遠距離恋愛でした。
遠距離恋愛が絶対にムリ、という人もいると思います。
しかし私たちは、遠距離恋愛があったから結婚できたのかもしれません。
会えない時間、距離というのは、自分の気持ちに向き合えるからいいものですよ。
毎日暗い部屋でゲーム
友達が一切いない長崎で、毎日することといえばゲームのみ。
ひたすらゲームをしていました。
仕事に行く前もゲーム、仕事から帰って寝るまでゲーム。
完全に依存していました。
むしろゲームをしていないと、精神がうまく保てないような状態だったんです。
肌も荒れに荒れ、体重も増え、汚らしい見た目となりました。
ふっと!!
笑顔だけはいい。
自分で見ても、ちょっと引いちゃうくらい太いですね。
体重は今より15キロくらい重かったです。
結婚してからだいぶ痩せました!
個人事業主へ
新卒で入った会社で転勤になり、広島営業所で1年くらい勤めた頃
「なんでこんな仕事してんだろ」
こんなことばかり考えるようになりました。
仕事が、人が、何もかもがイヤすぎて、逃げるように仕事をやめました。
特に準備もしないまま、勢いで個人で事業を始めたんです。
毎日勉強
個人で仕事をしていると、毎日が勉強なんですよね。
というか、学び続けないといけません。
会社員のときは、毎日ダラダラしていたってお金はもらえました。
学ぼうという気がなくたって、それなりの仕事をすれば毎月安定したお金はもらえるんです。
個人となると、そうはいきません。
正直、会社員時代にあった安定はなくなりました。
しかし、ツラいと思ったことはありません。
がんばっている自分が好きです。
がんばっていなかった自分が嫌いです。
自分の人生が、がんばる毎日になったことを嬉しく思います。
だんだん人生が楽しくなってきたんです。
人との出会いが自分を高める
結婚相談所を開業してから、とても多くの人に出会いました。
環境も変わり、出会う人もいろいろな肩書きをもった人ばかりです。
これまでの私の考え方は、すっかり一新されてしまいました。
多くの人と出会う中で、自分にとって大切な存在も明らかになってきました。
自分が大切にしたい人の人生に、私という存在がいてほしいなとも思います。
これからも人のことを思い、人のためにがんばらないといけませんね!
自分を高めるために、人との出会いはこれからも大切にしていきたいと思います。
人との出会いが自分を高めるのは間違いない。
みなさんもドンドン人に出会いましょう。
私の人生は、人と出会って変わったことばかり!
まとめ:動き続ける人生でいよう
今の生活がベストかどうかはわかりません。
ただ、会社員時代より毎日充実した生活を送れています。
ほら満面の笑み。
人生の充実度ってお金があるか、経済的に安定しているかではないんです。
自分の心が安定して家族が幸せに暮らせれば、それが一番良いと思います。
最近、暇なときなんてなくなりました。
常に学び続けて、発信して、働き続けています。
それでも心が安定している。
私にとっては、この生き方が合っているのだと思います。